日本人の宗教観はどこからきているのか? 出星前夜から学ぶ

島原の乱と現在を繋ぐもの

日本歴史上の最大の内戦と言われている島原の乱。また、日本の歴史上、現代に最も深い影響を与えた出来事とも言われている島原の乱。その島原の乱を扱った歴史小説「出星前夜(飯嶋和一 著)」を読み終えました。
キリシタンの反乱という認識で島原の乱を捉えている人も大きのではないかと思いますが、これはそう単純に認識してはいけないと感じています。

『何のためらいもなくクリスマスを祝い、結婚式は節操なくキリスト教式で行う人が、葬式だけは一度も会ったことのない檀那寺の僧を呼び、戒名を付けてもらわなければ決まり悪く感じたりする。私たちが慣れ過ぎてしまって空気のように感じる様々な不思議な性質が、実はあの時代に端を発している。』

この引用文は、出星前夜の解説文から持ってきたもので、「あの時代」とは、もちろん島原の乱が起こった時代です。

いまでも長崎や島原、天草、五島地方に行けば、あの時代のキリスト教関連施設が多数あり、いまでもあの時代から脈々と続くキリスト教信者の方々が暮らしています。
そして、あの時代から現代に至るまで、自らがキリシタン(クリスチャン)かどうかに関係なく、キリスト教と無関係で生きていくことはできません。

宗教とは?

キリスト教とはなんだろう。宗教とはなんだろう。

我が家でも、お墓やお葬式は浄土真宗でありながら、何のためらいもなくクリスマスを祝い、それに対して違和感を覚えないくらい慣れすぎてしまっています。

3万人近い人が犠牲になった島原の乱。犠牲者数だけを単純比較すると、なんと東日本大震災の約2倍です。

島原の乱が単なるキリシタンの反乱でもなければ、単なる宗教弾圧でもなければ、単なる農民一揆でもないことが、よく理解できる小説でした。
あの時代に連れて行かれて、その場に自分がいるような臨場感は、最新のVRを遥かに超えるものでした。

自分がもし、あの時代に生きる庄屋や農民であったら何をしたであろうか。何ができたであろうか。
自分がもし、あの時代に生きる幕府側の官僚であったら何をしたであろうか。何ができたであろうか。

人間には宗教は必要なのだろうか。

歴史を通じて宗教について考える

島原の乱や、現在進行形の世界中の宗教戦争を、私なりに理解する限り、生きる環境が苛烈である状況下で、各種宗教が人々の心の奥深くに入り込んできています。
苛烈な環境で生きる人々にとって、救いを求める先が宗教であり、当時長崎、島原、天草、五島界隈で、身近に存在していたものがキリスト教だった、ということなのです。
一般市民の多くがキリスト教に帰依したのは、当時そういう空気に支配されていたからであり、キリシタンとなった人の全員が、本当にイエス・キリストの理念に共感したからではありません。

宗教弾圧は良いことではありません。しかし、当時日本に信仰を広めようとしたキリスト教宣教師たちは、日本の神社仏閣があった場所に、それらを壊して教会などのキリスト教施設を作っていきました。さまざまな手段を駆使して、人々を仏教からキリスト教へと改宗させました。

宗教弾圧だけを見れば、決して許されることではありません。しかし、日本人としての魂を踏みにじられるような形で、キリスト教が入ってきたことを考えると、宗教弾圧だけを切り離して考えることはできません。

日本の歴史上、現代に最も深い影響を与えた出来事とも言われている島原の乱。
日本人として真実を知ろうとすることを怠ってはいけないのだと思います。
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