藤原清道プロフィール
05会社員経験~バブル崩壊直後の大手子会社で学ぶ~
バブル崩壊の影響を色濃く受けた都市銀行のグループ企業で、会社員として働いていたのが、18歳から21歳。当時の誰もが想像できなかったレベルで株価や地価が急落し、大量の不良債権を抱えることになった金融機関だが、それでも私が働く末端レベルでは、全くと言っていいほど危機感はなく、社会人はみな案外ゆるい世界で仕事をしているんだなと感じた。それは大手企業特有の大企業病に侵された、茹でガエルを量産するようなゆるさのような気もしたが、実はそうではなかった。
その当時に知り合ったさまざまな規模の経営者の方々からいただいた学びをヒントに自分の脳内で導き出した答えは、バブル崩壊くらいで経営が揺らぐような企業は、そもそも、社会にとっても顧客にとっても不要だったのだろうということ。
日本全体の経済成長が右肩上がりに続くという神話が崩れた直後に、社会人になることができたことは本当に幸運だった。それはビジネスの本質を理解することができたから。
「儲かるビジネスとはなんだろう?」「これからは何がくるんだろう?」「旬な儲けネタは逃さず捉えたい」そういうビジネストレンドを過剰に気にしながら経営を行っていた企業は、ことごとくバブル崩壊という波に飲み込まれて消えていった。
しかしトレンドは気にしながらも、「お客様にとって価値あるものとは?」「日本の社会、日本の経済にとっての最善はなにか?」という視点をメインにしてビジネスを設計していた企業は、社会全体の経済成長が止まっても、不景気の波に飲み込まれることなく仕事が入り続けていたのである。
バブル崩壊後の日本経済は「失われた20年、もしくは失われた30年」と揶揄されているが、そのバブル崩壊直後に社会人として日本経済のリアルに触れることができたおかげで、普遍性のあるビジネスの本質が自分の脳の深い部分に落ちてきた。
儲かるからやるのではなく、お客様にとって価値があるからやる。社会にとって意義があるから継続する。私には、「バブルの崩壊をものともしない経営者の方々のカバン持ちをしてきたからこそ身に付いたもの」があった。それが、時代や景気に左右されないビジネスの本質である。
当時はサラリーマンだった私だが、その時に明確に自分のビジョンが決まった。お客様と社会に大きな価値を提供し続けるためにも、強く正しく美しいビジネスを構築すると。
- 目次
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- 01私心なき経営~力なき人間が挫折を経て夢を追う~
- 02少年時代~強い組織を支えている人の存在を意識~
- 03落ちこぼれの高校時代~底辺を味わいながらも成功体験も~
- 04経営という仕事との出会い~自らの力で社会を渡り歩く魅力に取りつかれる~
- 05会社員経験~バブル崩壊直後の大手子会社で学ぶ~
- 06会社創業期~いきなりの挫折 惨めな船出~
- 07戦略なきドブ板営業~そこから繋がるディープな世界も~
- 08地方行脚~祖母の自宅に転がり込む~
- 09ミラノ出張~911の直後に国際線に搭乗する~
- 10上昇気流~大きな爆弾を抱えていることに気づかずに進む~
- 11組織の崩壊~従業員満足度への目覚め~
- 12第二創業期~クレド経営との出会い~
- 13クレド開発から導入、そして実践~粘り強さが作り上げたもの~
- 14マイクレド~自律自走の本質を知る~
- 15日刊メルマガの発行~ダメな自分を躾けていく最高のツール~
- 16従業員満足度研究所の立ち上げ~自らの事業経営の意義を見出す~
- 17コンサルティング事業~一般的なコンサルの常識を破壊する~
- 18従業員満足度実践塾~コンテンツの質を落とさずに、格安で学ぶ場を提供~
- 19子育てと教育~本質は、従業員満足度を高める組織づくりと同じである~
- 20「新 従業員満足度ES2.0」の執筆~日本企業の未来のために使命感を持って取り組む~
- 21クレド開発・浸透支援事業~組織づくりに悩むすべての企業に貢献する~
- 22後進の育成~日本の隅々まで、従業員満足度を高める経営を浸透させるために~
- 23生涯現役~働くことで人生が豊かになり、人間的成長ができると確信~