ファイナンシャル・リテラシーとは「稼ぐ能力ではなく、使う能力のこと」
一般的には、ファイナンシャルリテラシーが高い人は、稼ぐ能力が高い人だと思っている人が多いと思います。
そうではありまません。そのことについて、ここでは詳しく解説していきます。
最初は一見関係ない話から入りますが、最後まで読んでみてください。
限界を超える経験が強い人を作る
なかなか自ら望んで死の淵まで行くことはできませんので、何かのめぐり合わせで偶然そういう状況を経験した人は、本当にラッキーなことだと思います。
私のメールマガジンを令和になる前の平成時代から読んでくださっている方なら覚えてくださっていることと思いますが、私自身も本当にラッキーなことに、「一歩先に行くと死が待っている」ような「極限まで行って戻ってくる」という経験をしました。
それだけで何かが大きく変わったとまでは言いませんが、ただ自分という人間の根っこが太く育ったということは実感しています。
あの当時は、自分よりも周りの人たちが私のことを大いに心配してくれて、たった1つの貴重な命が残ったことを、いろんなかたが喜んでくださいました。
今ではすっかり健常者ですが、当時は「要介護5(1日のほとんどを寝たきりで過ごし、寝返りにも介助が必要になる状態)」までいきましたので、今でも久しぶりに会う人からは、3年以上が経ったにも関わらず、「その後お体の調子はいかがですか?もう普通の生活はできるんですか?」というようなご質問をいただくことが少なからずあります。
さて、そんな私の個人的な当時の怪我の話を掘り下げてするつもりではなく、自分の限界を経験したり臨死体験をした人間は、やはり強いという話です。
強い人間を作るプロセス
人間は生まれながらに強い人はいない、というのが私の持論です。
人間は、誰もが生まれながらに弱い存在で、弱いからこそそのままでは、魔が差した時に抑えが効かなくなってしまったり、本当はやらなければいけないことをズルズルとやらずに放置してしまったり、またダークサイドに落ちてしまったりということがあるわけです。
強い人というのは、生まれながらに強いわけではなく後天的に強くなったわけで、その強くなるプロセスの中にはいろんなことがあります。 それを日々研究し、自分に取り入れられそうなことはできるだけ取り入れて、そしてようやく今の自分があります。
その人間を強くするさまざまな要素の中で、望んでできることではないものの、非常に大きなものが、「自分の限界とか一歩先に行くと死が待っているとか、そういう極限まで行って戻ってくる」というものであるということ。
自分ではなかなか望んでできることではないからこそ、そうした体験をしたことがある人に絡んでいくとよいと思います。 面白いことがたくさんわかります。
ウェルビーイング向上のためのファイナンシャル・リテラシー
これからの時代は、どんなビジネスをやるとしても、従業員の労働を搾取し、酷使し、使い捨てをするという価値観で会社経営をしようと考えている人を除いたら、その他の誰もが、ES(従業員満足度・従業員エンゲージメント・ウェルビーイング)を高め続けていくことを経営目的のひとつにしなければならないと、私は思っています。
そして、ESを高め続けていくために欠かせない要素のひとつが「従業員一人ひとりのファイナンシャル・リテラシー」です。
無論言うまでもなく、ファイナンシャル・リテラシーだけがあればいいわけではありません。
ES向上には、従業員一人ひとりが、リベラルアーツという学問領域にも取り組んでいく必要があります。 リベラルアーツについては、またいずれ詳しく説明いたしますが、ファイナンシャル・リテラシーは、そのリベラルアーツの中のひとつであり、あくまでも「手段」だということをきちんと認識しておく必要があります。
未来への投資:コンサルタントやコーチへの支出
その手段としてのファイナンシャル・リテラシーについて、つい先日もクライアント企業の経営者の方や経営幹部の方々の間で盛り上がりまして、とても良い議論の時間となりました。
ファイナンシャル・リテラシーとはなにか?
一言で、「稼ぐ能力ではなく、使う能力のこと」と、今までに何度かお伝えしました。
金融業界でお仕事をされていらっしゃる方がこの私の言葉の定義、説明を聞いたら、異論反論もあろうかと思います。 金融業界的に、ファイナンシャル・リテラシーという言葉は、金融商品などのお金に関するリテラシー(知識や読み書き能力)のことを言っていますが、私はもっと上位概念でこの言葉を定義しています。
株式や不動産・暗号資産などの金融商品のみならず、日々のお金の使い所、支払う先すべてに関係する能力として、ファイナンシャル・リテラシーを定義しています。 いや、それだけじゃないですね。
お金の使い所だけでなく、時間や脳の使い所・使う先・使い方も含めたものとして、私はファイナンシャル・リテラシーについて話をしています。 それらは全て、一人ひとりの経済的な豊かさと満足度に大きな影響を与えるものだからです。
そうして議論が盛り上がる、クライアント企業でのファイナンシャル・リテラシーについて。
おそらく私のような概念で、ファイナンシャル・リテラシーについて語る人はまずいらっしゃいませんので、「お金に関する知識や投資能力」という範囲でしか言葉の定義をしていない人が私の話を聞くと、かなり興味を持っていただけるようで、それで盛り上がるのです。
ここでは、盛り上がった話題のひとつを紹介したいと思います。
それは、【コンサルタントやコーチなどに対して支払うお金】について。
個人でも会社でも、収入を増やして費用を減らすことで、利益が残ります。 これは小学生でも分かる理屈ですね。
しかしこの思考(PL思考とも言いますね)だけだと、残念ながらお金を使う能力が高まることはありません。つまり、私が定義するファイナンシャル・リテラシーは高まらないということです。
みなさんはコンサルタントやコーチに、どれだけのお金を支払っていますか? そもそも支払っていない、という方もいらっしゃるかもしれませんね。
実はコンサルタントやコーチに支払うお金って、その相手に払っているのではなく、コンサルタントやコーチに託して(経由して)自分に払っているお金なんです。 コンサルタントやコーチに支払うお金は、自分や自社の未来を進化させるために支払うお金です。
もし、コンサルタントやコーチに支払うお金がもったいないとか、高いと感じるとしたら、それは自分の未来を信頼できないということです。
例えば、コンサルティングフィーが100万円だったとしましょう。
その100万円をもし高いと思うのであれば、自分の未来と成長の伸びしろは、100万円に満たない価値しかないと、自ら評価してしまっていることになるわけですが、このように理解できている人は、現実には少数派です。
自分の未来にどれだけのお金と時間を投じられるか?
これは、ファイナンシャルリテラシーそのものです。
もうひとつ別の例を。
自分がやったらお金がかからないこと。例えば、商品を納品するための配達。 それを外部企業に依頼したら、1万円かかるとしましょう。時間は1時間かかるとします。
もし、この支出をもったいないと思う、もしくは1万円は高すぎると思って、自分でやるという選択をするとしたら、それは、「自分は1時間に1万円未満の経済的価値しか生み出せない人間である」と、自ら認めてしまっていることと同義です。
仮に、今は1時間に1万円未満の価値しか生み出せないとしても、あえて自分がやったら1時間かかってしまう仕事を、他人に1万円でお願いして、そこで生み出された1時間を使って、それ以上に価値を生める人間になるためにやれることを考えて行うという選択をする人間は、未来に向かって大きく成長する可能性が出てくるのです。
ファイナンシャル・リテラシーとは、「稼ぐ能力ではなく、使う能力のこと」と私が定義し説明した意味が、お分かりいただけましたでしょうか?
クライアント企業の方々との会話の中では、もっともっと深くて広がりのある話をしていたのですが、今日はここでその中の一部を共有しておきます。
ES向上に欠かせない、従業員一人ひとりのファイナンシャル・リテラシーの向上。 ここに今から真剣に取り組めば、周りから頭一つ抜け出すことができるでしょう。
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当社の「従業員」の定義
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