損得ではなく、人として正しいかどうかで判断する
私は、このような信念を持って仕事をしている経営者になりたいと思っていたことがあります。しかし、「正しい」ということを繰り返し掘り下げて考えたとき、「絶対的な正しさ」というものがあるのかどうかという疑問が湧いてきました。
世界の宗教戦争、宗教対立を見て、それについての知見を深めれば深めるほど、絶対的な正しさが無いように感じてきます。キリスト教とイスラム教の対立などは良い例のひとつです。キリスト教徒の信者も、イスラム教の信者も、それぞれ自分たちが正しいと思うことを信じていて、そのお互いの正しさは相容れることがなく対立しているわけです。
お互いに自分が絶対的に正しいと信じて疑わない。間違っているのは相手である、と。
絶対的な正しさはあるのか?
「絶対的な存在や正しさがある」という考えを主張したのは、哲学の祖と言われているソクラテスだったように記憶していますが(間違っていたらすみません。ご指摘ください。)、現代に生きる私たちにとっては、相対主義で考えるほうが脳が混乱せずにすみますので、やはり「絶対的に正しいということは、世の中にはない」と考えます。
そうすると、「損得ではなく、人として正しいかどうかで判断する」なんてことは出来ないということになり、正しいと思う判断はあくまでも自分の主観でしかなく、自分以外の第三者から見れば、「あの人は、人として正しい判断をしていないよね」ということになる可能性があります。
であれば、経営者は、何を基準に判断していけばいいのでしょうか。
クレドを使って定義する
それは、自社にとっての「正しい」を定義し、その定義を定期的に見直すことだと、現時点での私は考えています。弊社ではそれを、「クレド」というツールで表現しています。
「人として正しい、人間として正しい」ということを指標にしようとすると、その正しさの価値基準が人によって異なりますので、ブレやすいものになります。
であれば、ハナから「人として正しいかどうかで判断する」のではなく、「自社が定めた正しい基準に沿っているかどうかで判断する」のが最善なのではないかと思うのです。
人としての正しさ、という基準はとてもむずかしい。
ソクラテスが主張したように、絶対的な正しさがあるのかもしれませんが、私たち現代人には理解するのが難しいのは間違いありません。
宗教対立、政党間対立を見れば、明らかですしね。
しかし、だからといって思考を止めない。
人としての正しさも考え続けていきたいと思います。
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当社の「従業員」の定義
当社では「従業員」を“理念やクレドに従う全スタッフ”と定義しています。
つまり一般的な社員だけでなく、アルバイトさん、パートさん、
そして経営トップや役員も従業員の一人であり、そこに優劣はありません。
一般的には、経営者に「従う」という意味で従業員という言葉が使われていますが、
当社では理念やクレドに「従う」という意味で、
経営トップも含めて関係者全員を従業員と定義しているのです。
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