戦死者を「尊い戦争の犠牲者」と呼ぶメディアから学べることは?

大東亜戦争を戦った人の視点

各種メディアでは、戦争で亡くなった方々のことを悪気なく「尊い戦争の犠牲者」と呼びます。そうしたメディアでの呼び方に影響されて、戦後世代の私たちもそのように呼んでしまうことがあります。

しかし、大東亜戦争を戦って生き残り、現代に生きる元軍人の方の中には、亡くなった戦友たちのことを「尊い戦争の犠牲者」を呼ばれることに対して、「怒りにも似た感情を抑えることができない」という人がいらっしゃることを、私たちは知っておかなければなりません。

国のため、家族のために散った仲間たちは、断じて犠牲者などではない。
仲間たちは、犠牲になった可哀想な人などではない。
 
戦争の現場を経験した人たちは、ハッキリとこのようにおっしゃいます。

自分を犠牲にして力を尽くした人を貶めてはならない

勇敢で尊敬してやまない仲間のことを、「可哀想な犠牲者」と言われれば、腹立たしい気持ちになるのも理解できます。
国のため家族のために、命がけで働くという経験をしたことがない私たちは、悪気のない安易な言葉で、あの時代を生きた先人たちを貶めるようなことを慎まねばなりません

こうしたことは、現代の会社組織の中でも、私たちは気づかないうちにやってしまっている可能性があります。

一生懸命に会社のため、組織のため、社会のために力を尽くしてくれている仲間たちのことを、悪気のない安易な言葉で貶めるようなことをしてしまっている可能性があります。

今一度自分の言動を振り返り、自分を律しておきたいものです。

これは、ES(従業員の幸せ・満足・成長・輝き・充実度)を志す経営者やリーダーにとっても、非常に重要な視点です。