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全体最適と部分最適

  • 公開日:
saiteki

<世界中みんなみんな、実は部分最適で動いている>

最近そんなことを自覚するようになりました。

 本当は全体最適で動かなければならないとみんな知っているはずなのに、世の中の99%(私個人の感覚値)は、部分最適で動いています。(自戒を込めて)

「木を見て森を見ず」

 こんな言葉で表されることもある、この話。

 どんな大きな組織でも、どんな小さな組織でも、はたまた個人の活動レベルでも、全体最適に背くような部分最適行動をとってしまっていることが非常に多くあります。そしてそれが、全体の生産効率をぐっと押し下げてしまっているという事実。だとしたら、そこから目を背けるわけにもいきませんし、私自身もしっかり自分自身を戒め、律しておかなければいけません。

 たとえば、弊社のような小規模な事業所でも、営業の部署もあれば在庫管理をする部署も存在します。営業や在庫管理だけでなく、経理や人事、広報など、あらゆる立場で働いている人が存在します。そのそれぞれの部署の責任者が、自らの部署だけのことを考えて最適なことを考えても、それらの総和が全体では最適にならないであろうことは、これを読んでくださっているあなたも容易に想像がつくと思います。

 たとえば、在庫管理を担当する部署が、ミスを少なくしコストを極小にする在庫管理システムをつくったとしましょう。しかし会社全体視点では、そのシステムを導入したら顧客からの受注から発送までのレスポンスが悪くなり、それがもとで顧客満足度が低下し結果売上が伸びなやむ、なんて事になる場合があります。(これは弊社の実例ではありません。念のため)

 私がリアルに知っている事例だけでも、こんなことがいろんな会社で日常的に起こっています。(文章にすると、そんなバカな!って思うようなことも、実際の経営の現場ではよくよく起こっています)

 すこし分かりやすくするために具体例をあげましょう。

 この在庫管理方法の改善によるコスト削減がもたらす利益額を、たとえば「10」とします。しかし、その在庫管理方法に合わせた営業活動をすることによる営業ロス(利益額)が、「-15」になったとしましょう。そうすると、プラスマイナスで「-5」。つまり、在庫管理部では業績に貢献した(部分最適)つもりが、会社全体では、マイナスになってしまう、ということなんですね。

 まぁ、実際にはこんなシンプルに分かりやすい例はほとんどなく、当事者たちは自分が部分最適を論じているとは思ってもいないケースの方が多いですから、さらに注意が必要です。
 一つの施策を実行に移すことで、あっちの部署では「+2」、こっちでは「-5」、でもそっちでは「+8」、そしてここでは、「-3」という感じになるでしょうか。(実際には、その効果の数値化も含めてもっともっと複雑です。)

 コトがシンプルであれば誰も判断を間違えたりはしないのですが、そうではないからやっかいです。ひとつの施策に対し、プラス効果が出る部署では推進派が大きな力を持ち、マイナス効果の出る部署は抵抗勢力となる。ひとつの部署でのへりくつとも言える最適論理は、その部署内ではあたかも全体最適のように語られ、それによる他部署のマイナス面はその部署の努力不足なのではないかという、本来悪くないはずの部署が悪者にされて決着することも珍しくありません。

 ひとつ目のシンプルな事例で言えば、在庫管理部で「+10」となっても、営業部で「-15」になるような施策は断じて行ってはなりませんが、逆に在庫管理部が「-5」のコスト増につながる施策でも、それによる営業部の成績が「+10」、つまり相殺して「+5」になるのならむしろ、コスト増(手間の増加を含む)を提案するのが全体最適につながるよりよい選択です。

 でも、なかなかそうはならない。なぜなら、そのコストはともかく、自分の部署の手間が増えるような提案ができる部門長はまずいないからです。(これができる人は、そもそも部門長にとどまっていません)

 では、誰が全体最適をきっちり見ることができるのか?

 じつは、部門長も、自らの部署内の全体最適は見えているはずなんです。たとえば、自分の部下がなんだか非常に非効率なことをしているとしましょう。それをみた部門長は、

「おいおい、○○君、それはいったい何をやっているんだ?」

「はい、こうすることで、この仕事をより簡単に行うことができるんです。 よって間違いも少なくなりましたし、よりよいかと思いまして・・・」

「それは、○○君にとっては、確かにいいだろう。 しかし、それによってみんなが、こんなにやりにくくなっている。 間違いを少なくするのは、他で工夫するべきだし、今までのやり方で間違いが発生したとしても、最終的にこの工程で手直しできる仕組みがあるのだから、その○○君にとってのよりよいやり方はうちの部署では容認することはできないよ」

「え~、でも、ボクは、これがいいと思うんですが・・・」
 
 このように、会社全体の最適が見えていない部門長だとしても、自らの部署内では、部下に全体最適を教えていたりするのです。

 では、本当の全体最適が見えているのは誰なのでしょうか。

 ここまでの話からすると、その組織のトップマネジメント、ということになるのですが、はたしてそれは正しいのでしょうか。

 会社という組織は、社会全体からしたら、その社会構造の一部分を担っているに過ぎません。いっけん、全体最適で動いていると思われる組織のトップマネジメントも、その事業自体が、社会でどのような役割を担っているかまで考えて経営している人はほとんどいないのではないかと私は考えています。

 ある企業のトップは「円高は歓迎だ」といい、ある企業のトップは「円高は避けなければならない」という。円高が良いか悪いかということではなく、その企業にとってどちらが自社に都合がいいかということで、「円高がいい」、「いや円安がいい」、と言っているのだとしたら、どちらの企業の言い分も、所詮は50歩100歩、全体最適ではなく部分最適を主張する意見です。

 もし、国家単位でのある政策によって、1万人に不利益がでるが1000万人に利益が出る、そんな施策があったとしましょう。それにより不利益を被るであろう1万人からは、部分最適を主張する大クレームがあがるかもしれません。しかし全体最適を考えたら、この策を断行するのは是か否か聞くまでもありません。
 無論こんなに分かりやすい事例が実際にあるわけではありませんが、比較的分かりやすいことでも、部分最適を考える一部の人からのクレームにより全体最適になる施策が実行されないことが少なくありません。

自分とその家族の幸せありき?

 『まずは自分の幸せが最優先。自分の家族が最優先。
 それができて、はじめて他人の幸せを考えることができる。』

 という、考え方があります。これだけを聞けば、至極ごもっとも。とても正しい考え方に聞こえます。
 しかし、実際はどうでしょう。この考え方は、まず「部分最適」ありきの考え方。本来はこの逆のはずなんです。

 『社会全体、会社全体が豊かになり、幸せになるからこそ、
 そこに所属する自分も応分の幸せを享受することができる。』

 つまり、全体最適があって部分適があるはずなのです。

 ちなみに事業とは、非営利なものはもちろん、営利事業もそのすべては他人の幸せを考えてはじめて成り立つものであるはずです。誰かにメリット(=幸せ)があるからこそ、自社の商品・サービスにお金を支払っていただける。その支払っていただけるお金があるからこそ、自社の従業員にも相応に分配することができる。あくまでも、全体最適を志した結果として、部分適(最適ではなく)があるのです。

そうそう、たしか・・・

 一昔前に一世を風靡したお笑い芸人が、

「世界平和よりも、その前に家庭平和」

 と言っていたのをかすかに記憶しているのですが、これも、部分最適的な考えの典型的なもので、そもそも、世界や国がしあわせだから、個もしあわせになれるわけで、世界平和の前に自分や家族の平和を考えるのは順序が違うのではないかと思っています。

 無論、この言葉を発した彼自身は、「世界平和の前に自らの家庭平和」を考えても成り立つ(部分最適)かも知れません。しかしそれは、彼の知らないところで、自らの人生を、国のため社会のため、全体の幸せや平和のために捧げてきた偉大な先人たち、そして現在の志ある一部の政治家や事業家たちがつくってくれた日本という国に生きているから言えることだ、ということを忘れてはならないと思います。

 まぁでも、一歩も二歩も引いて見たら、国家全体の利益(全体最適)を考えて仕事をしてくださった方のおかげで、“世界平和よりも、その前に家庭平和”と個人が言えるような部分適ができたとも言えますから、そのように個人が主張できるのも、全体最適を目指してきた国家の象徴とも言えるのかもしれません。つまり、それもまた良しと。
 ただ、そういう考え方が、悪気のない人々の価値観を侵すことのないようにだけ、注意しておかなければいけません。

まとめ

全体最適論者も立場が変われば、部分最適を主張する
部分最適論者も立場が変われば、全体最適を主張する

しかし、いつも時代も部分最適の総和は全体最適にはならない

まずは、全てのレベルで、全体最適を考える。
その次に、全体最適が崩れないような個々の「適(最適ではない)」を考える。

部分最適を主張する人からのクレームを恐れない。
そういう人から嫌われることを恐れない。

追伸:

 私たち企業経営を担当する人間は、自社の全体最適を考えることはできても、国や社会の全体最適を考えることができていない可能性はかなり高いと思います。

 部下に全体最適を教えるのなら、あなた自身も自分の会社の存在が、日本国にとって有益なものとなっているか(社会の全体最適に背いていないか)をチェックする必要があります。

 そして長期的にはこれができる経営者のいる企業でないと、おそらく社会から淘汰されていくと思います。つまり事業の存続自体ができなくなると思います。永く発展する企業を目指すなら、社会の全体最適に沿った経営が必要です。

 社会全体の利益を俯瞰したとき、あなたの会社の存在や事業活動は社会レベルで全体最適の一部分をキッチリ担っていますか?

 そうでないのなら、部下に対して偉そうに全体最適を論じる資格はありません。

補足

読み返したら、ちょっと誤解されるかも(?)という部分がありましたので補足しておきたいと思います。

 もしかしたら、今回の記事をお読みになった方の中で、「全体最適の延長線上に、“社会全体が良くなればいい”という社会主義的(サヨク)思想があるのか?」と感じる方がいらっしゃるかも知れませんが、それは全く違います。
 社会主義的思想では、「社会全体で幸せを実現する」ということになり、そこに個人の責任がないかのように語られます。そして社会全体が幸せにならない(なれない)とすべて社会が悪いのだと、個人には何ら責任はないのだと、そんな発想になるかと思います。

 私は、全ての人が等しく満足感の得られる社会全体での幸せなどありえない、そう考えています。全体最適思考とは、責任を組織に転嫁することではなく、個々人の責任の上で部分最適ではなく全体最適を考えることです。

 私たちは、「がんばっている人が損をしない組織づくり」を目指しています。
 そのための全体最適を考えています。それこそが真に従業員満足度の高い組織だと考えています。それは、がんばらない人を過保護にしない組織でもあります。がんばらない人を救うための施策で、がんばっている人の生産性やモチベーションが下がるとしたらそれは、全くもって全体最適になっていません。

 「 国 」も一緒だと思います。

 一部の社会主義的思想の人たちによって、がんばらない人を救うような、部分最適を主張する風潮に、私たち健全な国民は待ったをかけなければいけません。

という、補足でした。

今回の記事内容を、社会主義的思想の人たちのネタにされることの無いように。

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