頑張りと結果は、必ずしも比例しない
頑張ったら頑張った分だけうまくいく。 そうであればいいけれど、必ずしもそんなことはないってことは、経営者という立場で仕事をしている人たちは、体感値としてよく分かっているのではないかと思います。
頑張っても頑張ってもすぐに結果が出ないこともあるし、5年とか10年前に頑張ってやって積み重ねてきたことが今になってようやく芽が出てくるということもあります。 逆に、大して頑張ったわけじゃないことで、想像を超える結果に結びつくということもありえますよね。
事業を営んでいれば、自分の努力の量と結果は、必ずしも比例しないということを誰もが理解していることと思います。それはつまり、頑張ったら頑張った分だけ経済的な豊かさに繋がるわけではないということです。報酬は結果に比例し、頑張りに比例するわけではないということです。
すみません、当たり前すぎることを言いましたね。失礼しました。
「当たり前」が当たり前ではない世界――会社員という働き方
こんなに当たり前すぎることではありますが、これが当たり前ではない世界があります。 それが「会社員」など、給与所得を得ながら仕事をしている人たちです。
仕事をした結果がうまくいかなくても、目指した成果が出なくても、頑張った分(例えば時間)に比例した給与をもらうことができるという働き方が、資本主義社会の中にはあります。 これは、仕事の本質、労働の本質を考えたときには、かなり不自然なことであるのですが、多くの人が自然に受け容れていることのひとつです。
「報酬は結果に比例し、頑張りに比例するわけではない」という当たり前すぎることが、実は当たり前じゃない世界が、この世界の中に存在しているということです。
誰もが、消費者としては労働の本質を知っている
世の中のすべての会社員は、自分が所属する組織では労働を提供する立場でありますが、消費者という立場になったときには、自分が手にする商品やサービスが自分が期待する価値があると判断できる場合(つまり結果が伴う場合)にお金を支払って購入行動をします。 自分にとっては価値がない商品やサービスを、見知らぬ相手が頑張っているからという理由では、お金を支払うという購買行動には至りません。
つまり、経営側の人間だけでなく被雇用者も含めて、誰もが労働の本質を自分の人生を通じて理解しているはずなのです。
それなのに、会社員として労働を提供する立場になると、自分の労働に対しては結果ではなく、労働時間などの頑張りに対して比例するのが当たり前の世界で仕事をしてしまうという現実の歪みの中で生きているのです。
「そういう労働契約なのだから、それは契約を結んだ以上は、それが当たり前でしょ」
そんな考え方もあろうと思います。もちろん、その理屈はそのとおりです。そこに異論を挟みたいわけではありません。契約社会の中では、それが「当たり前」であり、反論はありません。
私が言いたいのは、契約上の当たり前ではなく、労働の本質に関することです。
経営者の勘違いが生まれる「根っこ」
ここに経営者の勘違いが生まれる「根っこ」があると私は考えています。 経営者は当然ながら、利益や報酬が頑張りに比例するのではなく結果に比例する世界の中で生きています。しかし、社員やパートタイマー(被雇用者)を雇用すると、その人たちには結果ではなく頑張り(労働時間など)に比例する報酬(給与)を提供しなければなりません。そして、頑張りに比例する報酬を出しておけば、結果に比例する報酬を出す必要がないと言い換えることもできます。
一部の経営者は、被雇用者が「権利ばかり主張して、決められた時間に勤務しているだけで成果に対して本気で向き合っていない」ことに、苛立ちを持っていると思います。そして、そのさらに一部の経営者は、歩合給などで一人ひとりが成果に対して向き合うように仕向けようとします。それは「頑張っていても結果に繋がらない仕事しかできない人に高い給料を払うのは難しい」「頑張りではなく結果に比例する報酬があるべき姿」という考え方から来ているはずです。
組織の「結果」は、個人に帰属させられない
しかし、そもそも組織における「結果」というものは、個人の力だけで生まれるわけではありません。
ある社員が素晴らしい成果を上げたとしても、その人が成果を上げられる環境を整えたのは誰なのか。必要な情報を共有し、ミスをフォローし、顧客との関係を下支えしてきた人たちがいるはずです。逆に、成果が出なかった社員の「結果が出なかった原因」が、本当にその個人の努力不足だったのかどうかも、丁寧に見なければわかりません。
つまり、組織において「結果」というものは、個人に帰属させること自体が難しい。だから、歩合給のように個人の成果に報酬を紐づける仕組みだけでは、この問題は解決しないのです。
「経営者意識を持て」がナンセンスである理由
それだけではありません。こうした経営者の多くは、「報酬は結果に比例すべきだ」という論理を、自分に都合よく使い分けてしまっています。
成果が出ていない社員に対しては「結果が出ていないのだから、それに見合った報酬しか出せない」と言い、成果が出ている社員に対しても「君一人の成果ではなく、チーム全体で出した結果だから」と言う。そして、会社全体として大きな利益が出たときには「それは経営判断がうまくいった結果であって、社員の頑張りに比例して分配されるものではない」と心で考えてしまう。
経営者である自分は、頑張っていなくても休んでいても、会社が儲かったらそれに比例する報酬を得て当然だと思っているのに、頑張っていない社員や結果を出さない社員に対しては、会社が儲かった分に比例するような報酬を出そうとはしない。
構造を変えずに、意識だけ経営者と同じものを求める。 それで「経営者意識を持て」「当事者意識を持て」というのは、ナンセンスです。
それは経営者にとって都合がよすぎる要求であり、その都合のよさに無自覚であること自体が、組織の中に静かな不信感を生んでいくのだと、私は思っています。
システムの問題を、個人の努力で解決させようとしてはならない
システムの問題を、 個人の努力で解決させようとしてはならない
人間が決めた法律やルール、人間が決めた仕組みや制度には、少なからず問題があります。人間が作った以上、完璧になるなんてことはありえません。 しかし、多くの人はすぐに結果が出るような手法ばかりにこだわる傾向があり、物事の本質を見てシステム側の問題を発見することができていません。
組織の中で起きている問題の多くは、「人」の問題ではなく「仕組み」の問題です。しかし、仕組みの問題は目に見えにくいので、目に見える「人」のほうに原因を求めてしまう。これが、組織の問題が慢性化する最大の原因だと私は考えています。
いくつか具体的に見てみましょう。
雇用契約――時間に意識が向くのは当然のこと
ここまで見てきたように、雇用契約の基本構造は「時間を提供する対価として報酬を得る」というものです。この構造の中にいる限り、被雇用者の意識が「どれだけの時間を提供したか」に向くのは当然のことです。それを「成果に向き合っていない」と嘆くのは、水が低いところに流れることに腹を立てているようなものです。
つまりこれは、人の問題ではなく、雇用契約というシステムの問題なのです。
評価制度――指示待ちは設計されている
多くの会社には人事評価の仕組みがありますが、その評価基準が曖昧だったり、評価する側の主観に大きく依存していたりすることは珍しくありません。評価される側からすれば、何をどう頑張れば評価されるのかがわからない。わからないから、目の前の上司の顔色をうかがうか、とりあえず長時間働いて頑張っている姿勢を見せるか、そういう方向に適応していく。
「うちの社員は指示待ちで自分から動かない」と嘆く経営者は少なくありませんが、指示待ちになるように設計されている評価制度のもとで、自発的に動けというのは、やはりシステムの問題を個人の努力で解決させようとしていることに他なりません。
労働時間管理――「早く帰れ」だけが先行する現場
働き方改革以降、残業時間の削減が多くの企業で推進されてきました。それ自体は悪いことではありません。しかし、「残業を減らせ」という号令だけが先行して、仕事の総量や業務の設計は変わらないまま、ただ「早く帰れ」と言われている現場は少なくないはずです。
これもまた、システムの問題を個人の努力で解決させようとしている典型的な例です。仕事の総量が変わらないのに労働時間だけを減らせば、人は見えないところで帳尻を合わせるか、品質を下げるか、あるいは静かに疲弊していくかのどれかです。
どのケースにも共通しているのは、「仕組みの不備を、個人の意識や努力で補わせている」という構造です。
頑張る人ほど、システムの問題を見えなくする
そして厄介なのは、この構造の中で頑張る人ほど、システムの問題を見えなくしてしまうということです。優秀な社員が属人的な努力で成果を出してしまうと、「仕組みを変えなくてもなんとかなっている」ように見えてしまう。しかしそれは、その人の努力がシステムの欠陥を覆い隠しているだけであって、その人が抜けた瞬間に問題が噴出します。
経営者がまず向き合うべきは、「どうすれば社員の意識が変わるか」ではなく、「自分の組織のシステムのどこに、人の力を奪う構造があるか」なのだと思います。
構造を変えると、意識は変わる
では、構造の側を変えたらどうなるか。 頑張っていてもいなくても、会社が儲かったらそれに報酬が連動するようにしたらどうなるか。これは、面白いほど被雇用者が経営者に近い感覚を持つようになります。
会社の業績が上がったら、自分たちの報酬にもちゃんと反映される。その実感があるだけで、人の仕事への向き合い方は変わるのです。「意識を変えろ」と言葉で求めるよりも、よほど確かな手応えがある。
報酬の連動は「入口」にすぎない
では、報酬の仕組みさえ変えれば、それで組織は変わるのか。そう単純ではありません。
資本主義社会の中の雇用契約には、労働の本質に寄り添いきれない構造があります。報酬の連動はその構造の中でやれることのひとつであり、確かに効きます。しかし、それは入口であって、それだけでは届かない領域がある。
本当に大事なのは、その人が「この組織で働くことに意味がある」と感じられる状態をつくることです。
その状態をつくるために何が必要なのか。この問いに向き合い続けているのが、私の仕事です。
おわりに――制度の限界の中で、届く手段はまだある
従業員満足度の向上、従業員エンゲージメントの向上、ウェルビーイングの向上。呼び方はいろいろありますが、本質は同じです。構造を変えずに意識だけ変えろと要求するのではなく、人が自然と当事者意識を持てるような組織の土壌を耕していくこと。
制度の限界はある。でも、その限界の中で届く手段は、まだまだある。 私はそう信じて、この仕事を続けています。
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当社の「従業員」の定義
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