
幸せはなりたいと思ってなるものではない
幸せはなるものではなく感じるものであり、また所有することもストックすることもできません。そういう性質のものであることが分かっているからこそ、
「他人の幸せに寄与すること」こそが重要であり、ひとりの人間として生きている意味なのだと感じています。
20年前の私だったら、こんな事を言う人間のことを馬鹿にしていたかもしれません。
何を青臭いこと言ってんだ、と。
しかし、そこから世の中の表も裏も自分の身を持って体験し、清濁併せ呑むことも覚え、人間としての究極的な幸せを追求していくと、
「他人の幸せにいかに貢献できるか?」が肝であると見えてきたのです。
そのひとつの形が、従業員満足度の追求。
あらためて考える従業員満足度とは?
私が考える従業員満足度とは、単なる「従業員の満足」だけではなく・ウェルビーイング
・従業員エンゲージメント
・やりがいのある仕事
・働きがいのある組織
・一人ひとりの幸福度
・働く喜びを感じられる職場
これらのものをすべて内包した言葉として認識しています。
利己的な人は、幸せになれるのか?
多種多様な価値観を受け入れて生きていく必要があることは、誰もが理解しなければなりません。ですので、世の中には「他人の屍を踏み越えてこそ自分が幸せになれる」という価値観や、「他人の幸せのために働くなんてバカじゃないの」という価値観の人がいることも見て見ぬ振りはしません。
利己的な考え方で生きている事自体、否定されるものではありませんし、利己的な人がいるからこそ成り立っているビジネスモデルもたくさんあります。
ただし私達は、そういう人が悪意を持って接してきたとしても、一切動じることのない強さを身につけ、自社の従業員やお客様などの大切な仲間たちを守ることができるような強い組織であり続けること。
これは、自分が信頼する「他人の幸せに寄与する」ためにも最も重要なことのひとつです。
自分の幸せを後回しにすればするほど、自分が幸せを感じることができるというのが、人間という生き物の普遍の真理なのかもしれませんね。