FIREの意味を解説 そしてお金や人生全般との関係は?
FIREは、欧米発の概念
「FIRE」という言葉を聞く機会が増えました。
増えただけではなく、ご質問をいただくことも昨年からかなり増えてきたように思います。
私の生き方や考え方を断片的にご存じの方の中には、すでに私(藤原清道)が「FIRE」を実現していると思っている方もいらっしゃるようで、それで「藤原さんはFIREについてどう思いますか?」「FIRE実現のためには何が重要だと思いますか?」というご質問をいただくようになったのです。
「FIRE」とは、読み方はファイアですが、「火」という意味ではありません。
FIREとは、Financial Independence, Retire Early の頭文字を取った造語で、日本語に直訳すると「経済的自立と早期リタイア」という意味の言葉です。
アメリカ発の概念で、成功者の一つの形として、お金に縛られることなく仕事を止めても生きていける状態を「FIRE」と定義していて、それを実現している人を羨むような空気の中で生まれた言葉とも言えます。
欧米発の概念の一部は、日本人との親和性が低い
これは最近に始まったことではありませんが、近代の日本人は欧米発の概念を表層的に礼賛する傾向があり、このFIREもその中の一つだと思っています。
まず、FIRE実現に憧れたり、目指したりする背景には、欧米を中心に世界中に勢力を広げ、世界一の信者数と言われているキリスト教を基盤にした欧米の労働観があります。
旧約聖書の創世記において、食べることを禁じられた果実を食べたアダムとイヴに対して、神は罰として労働を与えました。
近年は欧米でもこうした労働観を持つ人が減ってきているようですが、労働を「苦役」や「罰」として考える人が多いとされているのは、こうしたキリスト教の労働観に由来しています。
FIREというアメリカ発の概念は、こうした欧米の労働観や宗教観が根っこにあるということを理解しておく必要があります。
キリスト教ではなく、神道や仏教が身近にある多くの日本人は、本来こうした労働観に違和感を覚える人が多いのですが、欧米発の価値観を表層的に礼賛する人が増えてきた結果、なんとなく「FIREってカッコいいかも」とうような人が、日本にも増えてきたわけです。
欧米(キリスト教)の労働観と、日本(神道)の労働観の違い
端的にまとめると、「働かなくても生きている環境を作って仕事を辞めて好きなことをして生きる」みたいなことですね。
「FIREって簡単には実現できないけど、そりゃあできればいいよねぇ。」
と、心のなかで思った方は、キリスト教の労働観に由来した仕事に対する価値観が、多少なりとも浸透していると思われます。
キリスト教において労働は「苦役」や「罰」ですが、私たちの日本人に馴染みの深い神道では、働くことは「神聖なこと」とされています。
働くことそのものが美徳であり、価値が高いものだというのが、日本人の根っこにある考え方価値観です。
ちなみにこのブログでは、どの宗教が良くて、どの宗教が良くないと言うつもりは全くありません。
多くの人にとっては、生まれた国や環境によって、土着の宗教の影響受けて人間は育ち、その宗教観が無意識のうちに自分の生き方に反映されるというのが一般的ではないかと思います。
実は世界的に見ても、仕事を苦役や罰と捉えない価値観を持っている国は日本を除いてほとんどありません。
ですので、仕事を苦役や罰と捉えることのほうがグローバルスタンダードであり、私たち日本人の「働くことそのものが美徳であり、価値が高いものだ」という価値観が、世界的に見ればかなり特殊であり、異常なのです。
以下に、日本と欧米の労働観の違いをあらためて記しておきます。
■労働の誕生
日本 → 神様から与えられた恵み
欧米 → 神様から科せられた罰■職場(労働の場所)
日本 → 神聖な場所
欧米 → 苦役の場所■休日
日本 → 平日と区別なし
欧米 → 罰から免れる聖なる日
こうして比較すると、あまりの違いに驚くのではないかと思います。
仕事、労働に対する価値観を欧米型に合わせていくことの功罪
さて私たち日本人は、グローバルスタンダードに合わせて労働観を変えていくべきなのでしょうか?
日本人でも一部には、欧米の労働観に染まりきっている人は、日本人古来の労働観を否定的に捉えている人もいて、そういう人たちは、仕事をせずに遊んで生きていくことを「カッコいい」と感じる人もいるようですが、みなさんはどうお感じになるでしょうか?
古来より日本人は、働くことを尊いこととして捉えています。
日本の神話で八百万の神々はよく働いていて、休むシーンはほとんど描かれていません。神々が力を発揮し恵みをもたらす神聖な行為として、働くことが描かれています。
他方、キリスト教の旧約聖書では、神自身ですら世界を6日で想像した後に7日目に休息しています。
欧米において働くことはあくまでも苦役、苦痛であり、否定的な意味合いで捉えられています。
その上での、「FIRE」なのです。
もし、このような欧米の労働観に染まってしまっていれば、FIREの実現はある意味で理想に思っても当然です。
仕事がお金を稼ぐための手段でしかないのなら、生活するために十分なお金が確保されていれば、仕事はしないほうが良いわけです。
なんせ、仕事は辛いこと、苦しいことなのですから。
念の為申し上げておきますが、私はあらゆる価値観を否定するつもりはありません。
日本の労働観だけが絶対的に正しいと言うつもりもありません。
ただ、こうした世界の歴史的背景や宗教観を知らずに、なんとなくFIREが流行っているから、その実現を目指すというような短絡的な思考ではいけないと考えているに過ぎません。
もし、仕事を「苦役」や「罰」と考える労働観を持っているのであれば、FIRE実現を目指すほうが一貫性もあります。
しかし、自分の仕事を「苦役」や「罰」ではなく「尊いもの」と考えているのであれば、アメリカが定義するFIRE実現を目指すのは、一貫性のないちぐはぐなことになり、それが結果として精神にストレスを与えることになるかもしれませんので注意が必要です。
さてさて、私藤原清道。
なぜ私が、第三者から見てFIREを実現しているように見えるのか?なぜ、そのように言われるのか?
正直に申し上げますと、アメリカ的なFIREは実現していません。何より、リタイヤ(引退)していませんしね。
しかし、日本の労働観による日本的なFIREは、もう何年も前に実現することができました。お金のために働く必要がまったくない状態を手に入れているわけです。
どういうことかお分かりですかね?
日本の労働観に合う日本的なFIREを実現するために必要な思考法
欧米と日本の労働観の背景にあるもの
さてここまで、日本と欧米の労働観の違いについてお伝えしました。
少しおさらいをしておきましょう。
■労働の誕生
日本 → 神様から与えられた恵み
欧米 → 神様から科せられた罰
■職場(労働の場所)
日本 → 神聖な場所
欧米 → 苦役の場所
■休日
日本 → 平日と区別なし
欧米 → 罰から免れる聖なる日
この欧米の労働観の背景には、キリスト教の成り立ちがあります。
旧約聖書の創世記において、食べることを禁じられた果実を食べたアダムとイヴに対して、神は罰として労働を与えました。
労働を「苦役」や「罰」として考える人が多いとされているのは、こうしたキリスト教の労働観に由来しています。
これを理解すると、アメリカ発の概念であるFIREのこともよく理解することができます。
なぜ、経済的自立をして、早くリタイアしたいのか?
労働が「苦役」や「罰」なら、そして生活をするためのお金を得るために嫌々仕事をしているのなら、生活に困らないお金が入り続ける仕組みができれば、早々とリタイアして仕事をせずに生きていくほうが良いに決まっています。
FIREの経済的自立とは、現有資産を金融市場で運用することで生活をまかない、お金のために働かなくても生活には困らない状態にすること。
自分の年間支出の25倍の資産があれば、それを年4%で運用することで、FIREが実現できるとされています。
もし、年間支出が400万円だとすると、1億円の資産があればFIREが実現できるということです。
さて、ここにはさまざまな落とし穴があります。
一般的に言われているような落とし穴については、話の本質から外れてしまいますので。あえてここでは語りません。
欧米的なFIREを実現したら本当に幸せなのか?
以前に付き合っていた友人が、「宝くじを当てたら仕事辞めて遊んで暮らす」と言っていました。まさにFIREですね。
仮に、これで計画通りに生活ができたとして、それは幸せな人生なのでしょうか?
お金について真剣に向き合って考えたことがある人ならお分かりかと思いますが、自分の人間としての総合力(人間力)が高くない場合、1億だろうが10億だろうが、どれだけ多くのお金を得ても心が安らぐことはありません。
働いても働かなくてもいい状態を手に入れて、その先の人生を遊んで暮らせる状態になったとしても、心から人生を謳歌できるわけではありません。
それは、FIREという考え方でそこを目指す人たちが、手持ちの資産に依存した人生を送っていて、それが無くなったら、それは人生がジ・エンドになるという不安から抜け出すことができないからです。
私(藤原)は、「日本の労働観による日本的なFIREは、もう何年も前に実現することができました」と申し上げました。
好きなことを好きなだけするだけで、生涯生きていくことができる状態を手にしているからです。
しかしそれは、労働をしないということではありません。
自分が誇りに思える美しい営みに力を尽くすことで、多くの人に価値が高いと思っていただき、結果として生活に困らない収入が入り続けているという状態なのです。
本当に幸せな、日本的FIREの実現方法
実は、お金なんてものはいくらあっても、自らのお金を稼ぐ能力も含めた総合的人間力が衰えれば、心は安らぎません。
一方で、手持ちのお金を使い切ったり、多くの借金を持っていても、お金を稼ぐ能力も含めた総合的人間力があれば、生きていくにあたっての不安は一切なくなります。
労働を「苦役」や「罰」と考えて、「できればやめたい」と思っているうちは、仕事を通じて人間力が高まるということはありません。人間力が高まらなければ、大きなお金を稼ぐ能力が高まることもありません。
他方、働くことを「神聖なこと」「美しい営み」と考えて、他人への価値提供に喜びを感じながら日々の仕事に取り組んでいると、その取り組みを通じて人間力がどんどん高まっていきます。
その結果として、生きていくのに困らない収入を稼ぐことが簡単に感じられるようになり、資産を使い切っても借金をしても全然怖くなくなるのです。
能力がなければお金がなくなっていくことに不安が生じると思いますが、能力があればお金は生み出すことができるので、将来に対する生活の不安はなくなるのです。未来に対してなんの恐れもなくなるのです。
能力とは、もちろん総合的人間力のことです。
人間力とは【 人として愛される力 】のこと。
これこそが、日本の労働観に合ったFIREなのではないかと思うのです。
お金は単なる価値交換のためのツール、手段に過ぎません。
労働を「苦役」や「罰」とまでは思っていなくても、「何かを我慢した結果お金を得る行為」とか「自分の時間をお金に換える行為」と思っている限り、お金に縛られている人生から抜け出すことはできません。
それは、アメリカ的なFIREを実現したとしても一緒です。
みなさんは、どう思いますか?
人気記事
当社の「従業員」の定義
当社では「従業員」を“理念やクレドに従う全スタッフ”と定義しています。
つまり一般的な社員だけでなく、アルバイトさん、パートさん、
そして経営トップや役員も従業員の一人であり、そこに優劣はありません。
一般的には、経営者に「従う」という意味で従業員という言葉が使われていますが、
当社では理念やクレドに「従う」という意味で、
経営トップも含めて関係者全員を従業員と定義しているのです。
手軽に学び始めたいという方はこちら
日本で唯一の
ESに特化したメルマガ
2008年の創刊以来、毎日配信し続け5940号。
採用や組織作りを中心とした現役経営者の思考を学べる
1ヶ月間無料の日刊の会員制メールマガジンです。
対談企画
代表の藤原清道が、株式会社ワイキューブ創業者で境目研究家の安田佳生さんと対談しています。
サービスについてご質問などがございましたら、こちらからお問い合わせください。
お問い合わせはこちら