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良かれと思ってやってきたのに、なぜか部下との距離を感じる

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良かれと思ってやったことが部下との距離を生む様子を表す抽象イメージ

良かれと思ってやってきた。
部下のためを思って、いろいろ気を配ってきた。

それなのに、なぜか距離を感じる。
誰かが静かに離れていく。あるいは、いつの間にかチームの空気が重くなっている。

その原因を探っても、明確な「悪」はどこにも見当たりません。むしろ、善意ばかりが並んでいます。

善意で満たされているはずなのに、なぜかうまくいかない。
もし、こんな感覚に心当たりがあるなら、今日の話は、あなたのための話です。

「良かれと思って」が、実は独りよがりになっていないか

多くの人が良かれと思って、自分が嬉しいと思うこと、つまり自分が興味関心のあることを、部下にしてあげるということをしています。

その良心は素晴らしいことです。

しかし、その良心から発していることが、必ずしも相手にとって喜ばしいこととは限りません。

例えば、「お酒を飲むこと」や「飲み会」が好きなリーダーが、良かれと思って部下を頻繁に「飲み」に誘っていないでしょうか。

例えば、「本を読むこと」が好きなリーダーが、良かれと思って部下に対して、頻繁に「本をプレゼントする」ということをしていないでしょうか。

例えば、「サッカー」が好きなリーダーが、部下に仕事や人生観を語る時に、何でもサッカーに例えて解説したり、ワールドカップで日本代表を応援することは「日本人ならあたり前でしょ」と言って、朝の雑談が「昨日の試合見た?」から始まってしまっていないでしょうか。

もし、お酒も飲み会も嫌いな部下だったら。
もし、読書が嫌いな部下だったら。
もし、サッカー日本代表の試合に一切興味がない部下だったら。

部下が辞めていく理由は、たいてい「見えにくいズレ」にある

例としては分かりやすいように極端な例を出しましたが、日常には、もっとずっと些細で、皆さん自身にも部下にも見えにくいレベルのズレが無数にあります。

たとえば、褒め方ひとつとっても、「みんなの前で称賛されること」が嬉しい人もいれば、それが何よりも苦痛な人もいます。「細かく進捗を確認してもらえること」で安心する人もいれば、それを監視と感じる人もいます。

こうした小さなズレは、飲み会や野球の例のように分かりやすくはありません。ズレていること自体に、双方が気づきにくいのです。

やっている側は「良いことをしている」と思っています。

受け取っている側も、「これくらいのことで不満を感じる自分がおかしいのかもしれない」と、自分の感覚のほうを疑ってしまいます。

だからこそ、このズレは表面化しません。表面化しないまま、小さな違和感として積み重なっていきます。

そして、ある日、誰かが静かに離れていく。

この「善意なのにうまくいかない」という状態は、悪意による問題よりも、ずっとやっかいです。
悪意であれば、それを正せばいい。しかし善意が原因である場合、正すべきものが見えません。

いや、正すべきは「善意そのもの」ではなく、善意の届け方なのですが、そこに目が向くリーダーは多くはありません。

部下との距離を縮める、たったひとつのスタート地点

では、どうすればいいのか。

まず変えるべきは、スタート地点です。

多くのリーダーは、「自分が好きなものは、部下もきっと好きだろう」、あるいは少なくとも「嫌いではないだろう」というところから出発しています。無意識のうちに、自分の興味関心を基準にして部下を見ているのです。

このスタート地点を、逆にする。

自分が興味関心のあることは、部下は興味も関心もない。そう思っておくことをスタートにする。

これは冷たい考え方ではありません。むしろ、部下を一人の独立した人間として尊重するための出発点です。

「自分と同じだろう」という前提からスタートすると、善意は自動的に「自分が嬉しいことを部下にもする」という形をとります。

しかし「自分とは違うだろう」という前提からスタートすれば、善意は「部下が何を嬉しいと感じるのかを知ろうとする」という形に変わります。

同じ善意でも、出発点が違うだけで、届き方がまるで変わるのです。

部下との関係がうまくいくリーダーは、いつも「部下が何を嬉しいと感じるのかを知ろうとする」という姿勢を持っています。

逆に、なぜか部下との距離を感じているリーダーは、無意識無自覚のうちに、自分の「好き」を部下への善意だと信じて届け続けています。悪意がないからこそ、本人はずっと気づけないのです。

論語の教えの、その裏側にあるもの

己の欲せざる所、人に施す勿れ

論語の有名過ぎる一節ですね。自分がしてもらいたくないことは、人にしてはならないという教えですが、ここまでお伝えしてきたことは、この裏側です。

聖書の中には、ゴールデンルール(黄金律)として、「自分が人にしてもらいたいと思うことは、何でも人にしてあげなさい」という言葉があります。

私はこの聖書の黄金律を、リーダーは真に受けてはならないと、常々考えています。(キリスト教の教えを否定したいわけではありませんので、どうぞ誤解なきよう。)

十人十色。百人百様。

こんな言葉は、私たちが生まれる遥か前からあって、みんなそんなことは百も承知のはずです。

それが分かっていれば、「自分がしてもらいたいと思うことを、部下にしてあげる」ことが、いかに独りよがりで利己的な営みであるかが分かります。

部下が何に関心があって何を求めているかをとことん考え抜く。それがマネジメントの本質であり、人と人との関係の本質でもあります。

そして、自分がして欲しくないことをしないというだけでなく、部下がして欲しくないことを想像して、それもしないようにすること。

「自分基準」は楽。だから、多くのリーダーがそこから抜け出せない

自分がしたいことや、自分がしてもらいたくないことは、それはそれで大切にすればいいと思います。

しかし、それを基準にして部下と向き合ってしまうと、本来うまくいくはずのこともうまくいかなくなります。

とはいえ、「自分を基準にしない」というのは、言うほど簡単なことではありません。

自分がしてもらって嬉しいことを部下にもする。これは、考えなくてもできます。自分の中にすでに答えがあるからです。つまり、楽なのです。

一方で、部下が何を求めているのかを考えるというのは、自分の中に答えがありません。観察し、想像し、時には聞いてみるという手間が必要です。しかもその答えは、部下によって違うし、同じ部下でもタイミングによって変わることすらあります。

だからこそ、多くのリーダーがこれをやりません。

やらないというよりも、自分基準で動いていることに気づかないまま、「自分はちゃんと部下のことを考えている」と思い込んでしまうのです。

でも、この手間を惜しまないリーダーのところには、人が集まります。

なぜなら、部下の基準で考えようとする姿勢は、たとえ完璧に当たらなくても、部下に伝わるからです。「この人は自分のことを見てくれている」「この人は自分の話を聞こうとしてくれている」。その実感が、信頼になります。

部下が何を求めているかを、自分の価値観ではなく、部下の側から考え抜くことができるリーダーが、結果的に、部下から選ばれ続けます。

自分を基準にすることは、楽です。しかし楽な道の先に、部下との信頼関係が待っていることは、まずありません。

「部下に喜んでもらえた」という結果だけを見て、自分のやり方が正しいと思い込まないように。

そう、自分を律していきたいものです。

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