高校卒業すら危ういような学業成績を引っ提げ、進路指導の先生方に多大なる迷惑をかけながら、高校三年生当時の私の脳が導き出した答えは、「19歳から22歳という多感な時期の4年間を、大学という場所で、決められたメニューをこなして過ごすのは、あまりにももったいない」というものだった。
無論これは、学業に落ちこぼれた私が、自分を最大限正当化するためにひねり出した理屈に過ぎない。だが結果として、この決断こそが、後の私の人生に最大の幸運をもたらすことになる。
同級生たちが、それぞれの進学先でキャンパスライフを満喫し始めるのと同時期に、私は19歳で社会に飛び出した。時は1991年(平成3年)。バブル崩壊直後、日本経済が大きく傾き始めたタイミングだった。
1980年代後半に高騰した株価や地価が急落したのが1990年から1993年にかけて。そこから始まった「失われた20年」の、その入口に、私は社会人として立っていたことになる。
この時代背景だけを見ると、相当な苦労をしたように思われるかもしれない。だが実際には、社会に出て間もない頃から、不思議な縁に恵まれ、成功者と呼ばれる人たちと数多く出会うことができた。
バブル崩壊後の不況下でも、なお利益を上げ続けている企業を経営する先輩方のそばで、薫陶を受け続けるという、今思えば贅沢すぎる環境に身を置いていた。
大学という場で、経営や経済、会計やマーケティングを学ぶことはなかった(正確に言えば、できなかった)。だが、高校の同級生たちが学生生活を送っていた19歳から22歳までの4年間に、私は社会の現場で、人としての基礎を徹底的に叩き込まれていた。
しかもその4年間は、バブル崩壊直後という、社会全体が混沌としていた時期である。机上の空論ではなく、生身の人間がどうやって修羅場をくぐり抜け、なお結果を出し続けているのかを、目の前で見続けることができた。
今振り返ると、この時期に出会った人たちから学ばせていただいたものこそが、後に年商6億円というスモールビジネスでありながら、社員の平均年収が1,000万円をゆうに超える組織へと成長していく、その“種”だったのだと思う。
当時を振り返って、今でも自分で驚くことがある。それは、この頃、私は一冊も本を読んでいなかったという事実だ。
ビジネスパーソンにとって読書が重要であることは言うまでもないが、当時の私は、本から学ぶよりも、人から学ぶことにすべての時間を使っていた。
成功し続ける経営者のカバン持ちをしながら、彼らの意思決定の瞬間や、修羅場での振る舞い、言葉の選び方を間近で見る。そうした経験の積み重ねが、後にベンチャービジネスへの参画へとつながっていく。
またこの頃、日本社会の「良い世界」と「悪い世界」の両方を、否応なく知ることにもなった。日本社会の闇と、そこで生きる人たちの存在を知っても、自らその世界に足を踏み入れることはなかったが、すぐ近くまで行って見たり、その世界で生きる人たちと会話を交わす機会には恵まれた。
その経験から学んだのは、人間としての強さを持たなければ、理想など一瞬で踏みにじられるという現実だった。同時に、理不尽な要求には決して屈しない、強靭な精神の持ち方と、清濁併せ呑む覚悟が、経営者には欠かせないということも知った。
どれほど崇高な理想を掲げても、どれほど質の高い知識を身につけても、人としての絶対的な強さがなければ、理想に近づくことすらできない。経営という仕事には、正しさや美しさと同じくらい、いやそれ以上に、強さが求められる。
経営とは、机の上で考えるものではなく、自分の人生を賭けて引き受ける仕事なのだと、この19歳からの社会人経験が教えてくれた。
こうして私は、「自分の力で社会を渡り歩く」という感覚に、抗いがたい魅力を感じるようになっていった。
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05 会社員経験〜 バブル崩壊直後の大手子会社で学ぶ 〜当社の「従業員」の定義
当社では「従業員」を“理念やクレドに従う全スタッフ”と定義しています。
つまり一般的な社員だけでなく、アルバイトさん、パートさん、
そして経営トップや役員も従業員の一人であり、そこに優劣はありません。
一般的には、経営者に「従う」という意味で従業員という言葉が使われていますが、
当社では理念やクレドに「従う」という意味で、
経営トップも含めて関係者全員を従業員と定義しているのです。
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